【vol.37】息子とアプラックと私 @七海朱美先生

今回のアプラック通信は、七海朱美(ななうみ あけみ)さんにお話を寄せていただきました。

七海さんは、かつて息子さんがアプラックに通ってくださっていた保護者のお一人です。現在は月に一度、土曜日クラスにお越しいただき、書道を教えてくださっています。ぜひご覧ください。


いつもありがとうございます。野ばら幼稚園教室で、月に一度、土曜日クラスで書道を教えている七海朱美です。

私とアプラックとのご縁は、息子の塾探しから始まりました。今回は、その出会いと、私が大切にしている「学び」についてお話ししたいと思います。

【アプラックに息子を預けた親として】

長男が2歳児の頃の保健師さんの訪問健診で「なんでもない?でも、発達なんか気になります」と言われました。

「その当時の私は、それが何を意味するか、さっぱりわかりませんでした。」

その後、幼稚園を年少入園1ヵ月で退園することになり、真岡市の「ことばの教室」に通い、徐々に状況がみえてきました。

発達が遅れている。じっとしていられない。言葉が出ない。

やがて別の幼稚園とのご縁がつながり、先生方の支えを受けながら、楽しい園生活を送ることができました。

小学校に入学してからは、学習面での遅れが気になり、塾を探すようになりました。しかし、体験した二つの塾は息子に合わず、体調を崩してしまいました。

そんなとき、ポストに入っていたのが「野寺塾」のチラシです。そこには、こんな言葉が書かれていました。

「お母さん、塾を決めるときは、3か所は行ってみましょう。」

二つの塾を体験したばかりの私には、まさに今の自分に向けられた言葉のように感じられました。「これは運命か!」と思ったことを、今でも覚えています。

これが、現在のアプラックとの出会いでした。

指示が伝わりにくい息子に、丁寧に、時には厳しく、愛情豊かな指導をして頂きました。

現在の息子があるのは、野寺先生のお陰だと感謝しています。


【暮らしとともに続けてきた書道】

書道を始めたのは、幼稚園を卒園した頃。祖父に連れられて、川崎市の書道教室に通ったことがきっかけでした。

日曜日の朝、教室に行くのが楽しみでした。一枚の作品の文字すべてに◎(優)をいただくと、祖父が100円をくれたのです。子どもだった私にとって、うれしいご褒美でした。

小学3年生の12月に真岡市へ転居してからは、左川芳碩先生のもとで学びました。専門学校に通っていた時期には、母が作品を教室へ届けてくれました。就職、結婚、出産を経ても書道を続け、2001年には書典会の師範を授かりました。

母の介護をきっかけに教室を離れてからも、左川先生(現101歳)との交流は続いています。

そして今、アプラックで高校生に書道を伝える機会をいただいています。かつて息子がお世話になった場所に、今度は教える立場で関わることができる。ありがたいご縁だと感じています。


【息子のことを知りたいという思いから】

子育てをする中で、親の会や講習会に参加し、情報を集めてきました。その一方で、必要な情報や支援に、すぐにはつながれない難しさも経験しました。

「息子のことをもっと知りたい」
「必要な支援を受けられるようにしたい」

その思いから、作新学院大学人間文化学部に入学しました。当初は、卒業後に市の福祉の仕事に携わりたいと考えていましたが、当時の市長(福田武隼氏)から、市議会議員として障がい者支援に取り組む道を勧められました。

地域の皆さんの支えを受け、2007年に初当選。それ以来、障がいのある子どもたちへの継続的な支援や、子育て、防災、外国につながる子どもたちの学習支援などに取り組んで現在に至ります。

活動の原点にあるのは、息子との暮らしの中で感じたことです。困っている方の声を受け止め、必要な支援につなげていきたい。その思いを大切にしています。


【食育】

「食べる」ことは、大好きです。

若い頃は、何も考えず、食べたいものを食べたいだけ食べていました。母は料理が上手で、何でもプロ並みに作ってくれました。

私は、予定日より早く、やや小さく(2,600g)生まれたので、家族には、食べることを「控える」という発想はなかったのでしょう。

小学校3年生の12月に真岡市に転校してからは、空気もお米もおいしくて、すくすく成長しました。

ふくよかな体型は、その頃からずっと維持していましたが、美しく健康的な自分も経験したいという気持ちが生まれ、努力をしました(現在進行形)。

一方、専門学校を卒業する頃に花粉症を発症し、長年、春先につらい思いをしてきました。薬を飲まずに過ごしたいと思う中、本間真二郎先生と出会い、食べるものと体、心との関係について考えるようになりました。

「考えて食べる」「選んで食べる」ことの大切さを知り、さらに、日本の伝統的な食文化、特に発酵食品に関心を持つようになりました。

 そのころ、ファスティングを紹介され、3日間の断食を経験したところ、花粉症の症状が緩和されました。やはり『食べる』ことは、しっかり考える必要がある、そして、きれいにした『腸』を大切にしたいと思いました。そのころから、体調も心も健康を維持できています。

 これらの経験は、真岡市の学校給食のオーガニック化の原点になります。議員として、真岡市の子どもたちを健康にしたい気持ちで、シンポジウムや映画上映化を開催しました。

 そして、更に、自身の体験も踏まえて、多くの方に『食』の大切さを伝えていきたいと思い、『健康ソムリエ』の資格を取得しました。

 私は、食べるものを選ぶことは、自分や家族の健康を考えるうえで大切だと感じています。

日々、何をどのくらい食べているのかを振り返り、日本の伝統的な食文化も大切にしながら、これからも「食」について学び、伝えていきたいと考えています。


これからも自分自身が学び続けながら、子どもたちの成長や、地域の皆さんの暮らしに関わっていけたらと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。


【七海 朱美(ななうみ あけみ)先生 プロフィール】

1961年、神奈川県川崎市生まれ。
小学3年生のときに真岡市へ転居。

栃木県立真岡女子高等学校、湘央医学技術専門学校を卒業後、花王株式会社栃木研究所に入社。その後、町田ひろ子インテリアコーディネーター専門学校を卒業。

子育てをきっかけに作新学院大学人間文化学部で学び、2007年に卒業。同年、真岡市議会議員に初当選。2023年には拓殖大学大学院地方政治行政研究科を修了。

NPO法人SAKU・ら理事長、真岡市国際交流協会理事、栃木県女性教育推進連絡協議会会長などを務める。現在、アプラックで高校生への書道指導にも携わっている。

〈資格・学び〉
書道師範(書典会)、書道6段(臨地会)、華道皆伝(龍生派)、田村魚菜料理教室宇都宮校本科修了、日本語教員、防災士、健康ソムリエ。

〈趣味〉
スキューバダイビング、落語、絵本の読み聞かせ、芸術鑑賞、国内外の旅行。


【議員として取り組んだ事業】

① 選挙における連呼の廃止あるいは自粛により環境都市型選挙運動に向けての条例の改正について
② 芳賀広域クリーンセンター新設に向けて
③ ごみ処理の量を減らすことで規模の縮小化の取り組み【シンポジウム開催2回、勉強会複数回】
④ 誕生からの継続的な障がい児・者支援体制(トータルサポートシステム)の構築
 ことばの教室の場所の変更
 ひまわり園に専門の指導者の配置
 ひまわり園の場所(老朽化)の移動
 「サポートファイル」の活用
⑤ 防災体制の構築 防災公園の設置 障がい者等弱者の避難所対策
⑥ 少子化対策 イクメン推進 ファミリーサポートセンター設置
⑦ 子宮頸がんワクチンのリスクについての丁寧な説明と後遺症が発症したときの対応【勉強会開催】
⑧ 真岡市の更なる国際交流について(学校間交流から文化・経済交流へ)
⑨ 日本語支援に必要な児童生徒の支援、高校進学への支援体制の充実
 外国人児童生徒適応指導教室に設置
⑩ 真岡市の学校給食のオーガニック化【シンポジュウム開催 映画上映会開催】アレルギー対策
⑪ 真岡市における有機農業の推進
⑫ 平和教育の推進
⑬ 総合型地域スポーツクラブ創設について
⑭ 脳せき髄液減少症について【講演会開催】
⑮ 緊急救急「ドクターヘリ」について
⑯ 指定管理者について
⑰ 観光商業の活性化 
⑱ 皆歯科検診の導入
⑲ 久保講堂の有効利用
⑳ 合葬式墓地の創設
他

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